清明〜ヤンキー言葉と人類愛
二十四節気〜清明
4月5日頃~
すべてのものが一年で最も華やかになる時

七十二候
初候 玄鳥至(つばめいたる)
次候 鴻雁北(こうがんきたす)
末候 虹始見(にじはじめてあらわる)

ツバメが南からやってきて、雁は北へ渡っていき、雨上がりに美しく虹がで始める頃。
桜も咲き、木々からは新緑が芽吹き、生命の輝きに満ちた頃です。

最近はカラフルに塗られた卵が店頭を賑わせていますが、イースターはイエスキリストの復活を祝う日。
キリスト教のお祝い事がすっかり商業ベースで定着していますが、いやそれ祝う必要があるのか、日本人!!と、いつも思います。
まだハロウィーンは収穫祭的な意味合いがありますが、イースターはわからない、ほんと。
さてそんなウサギや卵ではなく、日本人にはより身近なお話を中心に。
よろしくおつきあいください。

清明祭(シーミー)
沖縄では、清明の頃、先祖供養のシーミー(ウシーミー)が行われます。
沖縄のお墓は本州と違って、お家のような大きな造りをしています。

綺麗に掃除したお墓にお供え物をし、そのお墓の前で家族揃ってウサンミを呼ばれる重箱料理をいただいたり、泡盛を飲んだり、三線を奏でたりする行事だそうです。

清明を過ぎると、雨の多い穀雨、そして立夏の頃には沖縄は暑さも本格的になってきます。
過ごしやすいこの時期に、ご先祖様を囲んでの家族団欒。
あたたかい文化が残っていますね。
花祭り(灌仏会)
仏教の開祖、釈迦が生誕したとされる4月8日。
寺院では花祭りが行われます。
参拝者たちは釈迦像に甘茶(アジサイ科の植物で作ったお茶)をかけ、無病息災を願います。

お釈迦様は、約2600年前にインドでお生まれになりました。
生まれた場所が「ルンビニー園」という花畑だったことから、
お釈迦様の誕生日を『花祭り』と呼ぶようになりました。
甘茶をかける釈迦像は、生まれてすぐの釈迦を表していて、
「誕生仏」と呼ばれています。
釈迦は生まれてすぐに、四方へ7歩ずつ歩かれ、
右手を天、左手を地に向け、
『天上天下唯我独尊』と言われたとされています。
天上天下唯我独尊
実はこの言葉、しばしば大きく誤解されて使われることがあります。
尖った若者が着る「特攻服」と呼ばれる衣装に刺繍してあったりするんで、
なんとなく「ヤンキー言葉」みたいなイメージがありませんか?
着ている方々のイメージとも相まって、「俺様が最も尊い」みたいな意味で捉えられがちです。
『傍若無人』『自己中』、、、
『天上天下唯我独尊』『喧嘩上等』『夜露死苦』みたいな。
でも本来は、決してそんな意味ではありません。
7歩の意味
釈迦が生まれてすぐ歩まれたとされる7歩。
これは、六道と呼ばれる世界から、もう一歩先へ!!(6+1=7)
ということを意味します。
六道(りくどう)とは
地獄道ー激しく苦しい世界
餓鬼道ー飢えと渇きの世界
畜生道ー弱肉強食の動物の世界
修羅道ー終始戦いの世界。
人間道ー四苦八苦ある我々の世界。
天道ー天人の住む世界だが、寿命も煩悩もある

仏教では、私たちの命は、六つの迷いの世界を輪廻しているとされます。
六道の中でも、人間に生まれるのはとても難しい。
でも人間界だけが、自らの力で、仏に逢い、悟りを開き、救われるチャンスのある世界なのです。

釈迦は言う。そんな六道、一歩抜け出しちゃおうぜと。
『天上天下』
この大宇宙の中で、という意味。
『我』
釈迦は自分のことは、『我』ではなく、『吾』を用います。
『我』は『私ども』の意味です。
『独尊』
尊い目的。
つまり、天上天下唯我独尊とは…
この壮大な大宇宙において、生まれがたい人間として生まれた私どもだけが、なすことができる尊い目的(独尊)がある
ということになります。
貴賎や人種、性別などに関係なく、人間に生まれたことの尊さ、ありがたさを教えた言葉だったんですね。

釈迦は言う。人間っていいなと。
三界皆苦 吾当安此
実は、天上天下唯我独尊のあとには『三界皆苦 吾当安此』と続きます。
三界とは、
淫欲と食欲の『欲界』
欲界の欲を離れたが物質的束縛のある『色界』
物質的なものからも離れた『無色界』
のことで、六道でいうと、地獄道から人間道そして天道の一部は欲界にあるとされます。
どこまで言っても苦しみから逃れられない世界(三界)。
吾(釈迦)はそんな人々を安んずるために人間界にきた、ということになります。

釈迦は言う。人間という尊い存在に生まれながらも、欲と迷いに苦しむ人々を安んずるため、私はこの人間界に生まれたんだ!と。
まとめ
運よく人間に生まれた私たち。
でもその世界は、様々な欲に支配され、苦しみからは逃れられない。
ただ人間に生まれたということは、そんな苦しみの世にあっても、
自分たちの生き方によって、幸せになれるということ。
だから人間として生まれたその崇高な目的を、達成していこうね。
そんな釈迦の、ありがたいお言葉。

特攻服の彼らは、「俺上等!」とか言いたいわけじゃなく、こういう人類への深い愛を掲げているということです。
おおらかに、日本の風土に溶け込んでいる仏教。
熱心に信仰していなくても、寺院へは行くし、除夜の鐘はつく。
ヨガはするし、お彼岸に牡丹餅は食べる。
私はこの日本人独特のおおらかな宗教観は、もっと讃えられていいと思ってます。
4月8日は、ぜひお近くの寺院を訪ねてみてくださいませ。

では次回、みのりの雨の頃。
穀雨にてお会いしましょう。